思いゆたかに 学びを拓く

山梨県東部に位置する大月市。 日本三奇橋である名勝「猿橋」のほとり、 白い校舎の猿橋小学校です。

今日は3月11日。東日本大震災から10年目です。

 今日は東日本大震災が起こった2011年3月11日から、ちょうど10年目にあたります。時が経つのは早いものですね。10年前というと、今の6年生が2才、5年生が1才、4年生は生まれたばかりでしょうか。3年生以下の子ども達はまだ生まれていなかったですし、4年生以上の子も当時は幼かったので、あの大地震のことを覚えている子はいないと思います。

 この地震では大月もだいぶ大きく揺れました。震度4だったかと思います。私は七保小学校に勤めていて、地震発生時には校庭にいたのですが、船の上にいるみたいな大きな横揺れがだいぶ長い間続き、気味が悪かったのを覚えています。帰宅後のテレビで東北地方を襲った大津波の様子を見た時の衝撃は忘れることができません。

 私は2013年と2014年の2回にわたって、宮城県石巻市に教育支援ボランティアに行かせてもらいました。大震災から2年が過ぎているというのに、沿岸部はほとんど手つかずのままで津波の恐ろしさを改めて感じさせられました。遠くに見える家の向こうが海岸です。震災前には、この辺り一帯に家がたくさん立ち並ぶ住宅地だったということです。津波で何もかも流されてしまいました。

 家の基礎だけが残されている場所もたくさんありました。

 門脇(かどのわき)小学校です。シートが掛けられていて分かりづらいのですが、校舎の前面が黒く焼け焦げていました。津波で流されてきた車などが校舎にぶつかり火災が起きたそうです。

 大川小学校です。全校児童108名のうち78名が犠牲となりました。この校舎の屋根を超える津波が襲ってきたということです。大川小学校を見ると、あの時、この場所にいたとしたら自分に何ができただろうかといつも考えさせられます。

 

 石巻での教育支援ボランティアでは、10人余りの子ども達と一緒に勉強したり、遊んだりしました。あの子たちは今でも元気にしているでしょうか。

 東日本大震災では、1万5000人以上の方が亡くなり、2500人以上の方が今も行方不明となっています。また、考えられないくらい多くの人が家を失い、避難所生活を余儀なくされました。福島では原発事故が発生し、やはり多くの人が日常生活を奪われてしまいました。震災から10年、復興はまだ終わっていませんし、原発事故の収束には、まだ何十年もかかるだろうと言われています。慌ただしい日々の中で、大震災の記憶が薄れつつあるように感じます。今はコロナ禍の中なので、なおさらです。しかし、地震や台風、噴火などの災害はいつ起こるか分かりません。この3月11日を機に、もう一度災害への備えを見直し、被害を最小限にとどめることができるようにしていきたいと思います。

 学校では、東日本大震災のことを知らない、覚えていない子ども達に、自然災害の恐ろしさを伝え、防災の意識を高めるために、各クラスで大震災の話をしています。また、玄関には弔旗を掲げました。

 震災が発生した午後2時46分には、一斉下校で校庭に集まっていましたので、防災おおつきのサイレンに合わせて黙とうを行いました。

 子ども達が防災への意識を高めていけるよう、今後も取り組んでいきたいと思います。